女性不信と悲観主義と葛藤と、忘却的感覚主義について
久しぶりにカキコミしてみよう。
我が世の流行に乗って、婚活ブログを始めてから、早いもので8ヶ月も経ってしまった。
それは250日くらいの長さなのであるが、1000人も来ていない。まあそんなもんでしょう。更新もしてないし。婚活ブログの仲間にでも入るか。。。
近況はどうなのでしょうか。
正直、モテてるねー。うん。
ぶっちゃけ、転職して正解だったわ。収入が上がったので、仕事に自信が持てるようになった。それで仕事は忙しくなったのだが、忙しくてデートする暇がないのかと言えば、全くそんなことはない。今まで持て余していた時間が仕事に使えることになり、休日はデートでもすれば良い。。。
そして、まあ、多少なりともモテるようになってくると、思うのは、二股とか浮気というものは、非常に難しい上にめんどくさい。という事である。ということは、つまり、どんなにカッコよくて、どんなにモテる人間であろうと、沢山浮気してる人間もモチロンいるだろうが、基本的には、一人しか相手にできないということだ。
つまり、どんなにかっこよくても、可愛くても、相手は一人。つまり、競争率という観点で言えば、そんなに世の中、モテる奴に女が一点集中するということもないのだ。つまり、そこの君にも、本当に充分にチャンスがあるということだ。
あるお祝いの日にも、死ぬほど可愛い女が料理を作りにオレんちに来てくれた。8ヶ月前であれば、それはただの妄想の類に過ぎないが、それは現実に起こった。ってゆーか、なんでそこまでしてくれるんだろ。
まず、ここまで来るとマニュアルとか、もうめんどくさくて、忘れてしまっている。そしてそれでうまくいってるかと言えば、なんか、やっぱりオレのコミュニケーション能力は、「低い」の一言に尽きる。
なので、もっとコミュニケーション能力を磨く必要があるのは確かである。
そして、一夫多妻制になればいいのになーと思う。
ある女の子のことが、まあ好きだとする。しかし同時に別の女も物凄く好きである。
じゃあ、「好き」という感情はなんだろうか。
以前、女とうまくやってモテるということを、自動車教習に例えた。車に乗ることが楽しいとか思う前に、事故らないように、うまく運転することばかりに気を取られて、楽しくないということである。
それなりに車を運転することにもなれたような気もするが、相変わらず運転をするときは、事故の危険が頭にある。
つまり、本来的にモテないような気がする自分が、ムリヤリ自信を持って、余裕であると言い聞かせて、女と話している時に、やはり感じるのは、「恐怖」である。
オレは、ずっと孤独であった。そして孤独は、辛いものではあるのだが、孤独はラクである。そして孤独である事は普通のことである。
そういうオレが、そういう境遇から、変わろうとするのは、正直普段トボトボ道を歩いてる人間が、急に空を飛んでいるような状態である。
落ちるのが怖い。
飛行機は慣れれば簡単に操縦できる。だが、落ちる時は一瞬だ。どんなベテランでも。
オレは、女に振られる事にかけては、右にでるものはいないような気がする。女性不信にもホドがある。今まで普通に楽しく過ごして、相手のことを信用してる気持ちになって、相手も自分のことを信用してるんじゃないかと思っても、次の日には消えている。
そういうものである。と思う。
つまり、女は0.5秒で消えると思う。今の瞬間は、次の瞬間には全く別のものに変わっている。だから、ある笑顔があっても、ある優しい言葉があっても、ある思わせぶりがあっても、どんな事も次の一瞬を保証するものではないと思う。
だから、自分も同じように、消えてしまっても、相手を裏切っても、それはいいんじゃないかという気もしてしまう。
つまり、「相手の気持ちが分からない。」 これに尽きる。
もし、相手の気持ちをちゃんと分かることが出来れば、そうやって騙される事もないであろう。相手のサインにも気付くことができていただろう。
結局、宇宙人のように、何が何だか分からず予想不可能であると決め付けてしまっている自分がある。宇宙人の意図など分かるワケがない。人は予測可能なものは安心するが、予測不可能なものには恐怖を覚える。
だから自分がどう考えるかというと、女のことを全く信用せず、予測の範囲を物凄く広くとる。例えば宇宙人が急に何か予測不可能なことを始めても、「まあ宇宙人だから、何があっても仕方ない」と思うではないか。何があっても、まあ女の子だからしょうがないと許してしまう。というか、最初から何もかも諦めている。
結局、それこそが「女性不信」ということだと思う。
だから、このような考えで、深刻で重症な点は、「自分が相手に愛されてる」とか、思うことがほとんど不可能という点なのである。
とは言え、相手が自分の事を好きなのではないか、と思うことがたまにある。
しかし、そういう時は、ものすごく 「????」という気持ちになり、全く理解できなくなる。というより、上記の思考の枠組みの埒外にあるからだ。
相手がそのような行動を取れば取るほど、自分は心を閉ざしてしまい、相手を受け付けなくなってしまうであろう。そして相手はきっと嘘をついているんだろうとか、俺のことを騙しているんだろうと思ったり、カネの為だろうか、それともただの勘違いか、バカだからだろうか、とか、いずれにせよ、何かの間違いだろうとか、結局こんなことはいつもどおりに一瞬で終わるだろうとか、そのように思う事で、精神的に持ちこたえようとする。
正直、そのような考え方は良くないと思う。
しかし、現状を俎の上にあげて、それに対して、批判を加え、新たな思考の枠組みを無意識にインプットすることでしか、変われないと思う。
だから、自分のダメな思考の枠組みを俎上にあげて、分析するしかない。
楽観主義と、悲観主義がある。
悲観主義は良くないとよく言われるが、精神的にはそんなに悪いものではない。ガッカリという言葉がある。これは「期待値が高い⇒現実が期待値を大幅に下回る」という状態である。逆に望外の幸運というのは、「期待値が低い⇒現実が期待値を大幅に上回る」である。だから、現実に良いことが起きない限り、期待をしない。即ち悲観主義である。しかし、このような悲観主義は、二重構造になっていて、「良いことが起きないかなー」という下心が下層にありつつ、表面上では「どーせうまくいきっこない」と、やさぐれているタイプの悲観主義である。
本当の悲観主義というのは、下層の下心的期待が、ほぼ無い状態のことである。
あれ、なんでこんなこと書いたんだっけ。
ああ、そうそう。だから、女に期待せず、好きになる事もせず、信用もしないというのも、メリットがある。それは裏切られてガッカリさせられる事が少ないという、心理的な防御機構を果たすという点である。つまり、それは悲しいほどの悲観主義であるが、それはそれで最初から期待してないので、ガッカリする事もないということである。どうせ0.5秒後に跡形もなく、消えうせることが分かってれば、いざそうなった時に、「あっそ」で済ませられると思う。
じゃあ何故このように悲観主義に陥っているかというと、それは現実にフラれまくっていたからだ。というより、そんなにフラれているというよりも、一回フラれるだけで、物凄く死ぬほど傷ついてしまうという、打たれ弱さにその原因があるという気もする。
しかしまあ、悲観主義でも何でも良いという気もする。つまり、そんなことはどうでも良いことであり、要は行動するかどうかなのである。
その通り。そして行動しました。ある程度うまくいきました。そして、ここからが問題なのである。精神的な恋愛的な部分において、「相手を信用して好きになる」という事が、自分にとって難しく、心理的な障壁ができているという問題が持ち上がってきたからである。つまり、相手の事を自分の中で大きくしたくない。端的に言ってしまえば、人を好きになる事に対する拒否感である。
だから、大抵の女に対しては、好きにならない理由を即座に探してしまう。可愛くないから、デブだから、ちょっと歳が上だから、歯並び悪いから、胸が無いから、若すぎるから、接点がないから、ヤンキーぽいから・・etc だが、たまにそういう好きにならない理由が見つからない場合がある。そういうときは自動的に口説こうとしてしまう。それはこのブログに詳しい。
まあよい・・。
ある日、電話が通じなくなった。あの子はメールも返さない。そしてオレは思った。「ああ、またか・・・」と。やはりオレはデフォルトで孤独なんだから、また元に戻っただけだな。やはり一瞬で消えたか。まあ、いつもどおりの事がまた起こっただけだよ。人生は繰り返す。もう慣れてるよ。。。
でも、実はちょっと要があって、電話に出れなかっただけだったのだ。それが分かり、いつものように話せたときは、とても嬉しかった。
ずっと長い間、孤独で相手が欲しかった。ずっとだ。
そのときの寂しい気持ちに比べれば、相手がいることの気持ちがどれだけ楽で素晴らしいことか。信用するとか、もうそんなことは忘れてしまえばいい。ただ話しているだけで、良いという気もする。。。。
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